年金繰り下げの効果を比較するため、内部収益率を計算してみた。

これまで老後2000万円問題のシミュレーションDie with zeroの実践方法などを試算してきました。やはり年金繰り下げには、老後破綻防止、Die with zeroと整合的な消費可能額の引き上げに一定の効果がありそうでした。

では仮に繰り下げをする余裕がある場合、繰り下げ年数をどう選ぶのがいいのか。今回はちょっと違った角度から、年金繰り下げの効果(補足的に繰り上げの効果も)を考えてみます。

年金繰り下げで、手取りが増えない可能性がある?

ご存じの通り、年金は65歳から受け取れますが、前倒しで受給開始すると1ヵ月当たり0.4%減額、後ろ倒しすると1ヵ月当たり0.7%増額されます。年当たりにすれば、繰り下げ受給の場合、0.7%×12ヵ月=8.4%の増額になります。無リスクで年利8.4%の金融商品はないので、これ自体はかなりおトク感があります。

一方、ウェブ上では、受給額が増えると社会保険料や税金の負担が増えるため、額面は増えても手取り額は別、といった恐ろしい記事も見かけます。さすがに税率・保険料率の所得区分が上がることで、額面の増分が帳消しになることはないだろうとは思いつつ、かなり不安が煽られます。

困るのは健康保険料率や住民税率などは、住んでいる自治体により差があるので、簡単に数字が得られない点。本当に年金の受給年齢に達したら、年金事務所などに駆け込んで試算してもらってもいいのでしょうが、まだその年齢ではないし、あくまで思考実験としてシミュレーションをしたいだけの話。それに付き合ってくれるほど、年金事務所も暇じゃないでしょう。

年金の手取り額試算ツール

ということで、今回はネットを徘徊していて見つけた「年金の手取り計算ツール」というもので代用します。年金の額面を入力すると、「社会保険料(仮)」が自動的に仮置き計算され(正確な金額が分かっていれば、上書き可能)、そのうえで税金を控除した後の手取り額を計算してくれるという便利なものです。

私の住んでいる自治体のサイトにあった「国民健康保険料 概算早見表」という年額25万円刻みの表と比べると、仮置きの社会保険料は少し高めに出ます。ただ、その分、税金を計算する際のベースが低くなる(税負担が軽くなる)という効果もあるので、トータルで見れば悪い数字ではないのだろうと考えることにします。

手取り額の試算結果を見てみる

年金額は、以前の記事でも使った総務省の「家計調査報告」を使います。ただ配偶者がいる場合、入力項目が増えて試算が面倒になるため、今回は単身者の場合を使います。

家計調査報告だと、単身無職世帯の年金受給額(額面)は121,629万円(月額)となっているので、これを出発点とし、ここから1~10年、繰り下げた場合を考えます。1年だと121,629×(1 + 8.4%)=131,846円、5年だと121,629×(1+8.4%×5年)=172,713円といった具合です

以下が計算結果をグラフにしたもの。左パネルが年金繰り下げ時の手取り額(年額)、右パネルが税・社会保険による額面からの控除率です。横軸は繰り下げ年数、つまり0は65歳から、10は75歳から受給開始した場合を示します。

右パネルにあるように、税・社会保険の控除率は、繰り下げを進めるほど上昇します。しかし左パネルにあるように、増え方は額面ほどではないですが、手取り額の逆転現象は起きていません。棒グラフの上部に数字が2つありますが、上段は65歳受給開始時と比べた累積の増額率、下段はその1年当たりの平均効果です。

累積増額率を見ると、最長の10年繰り下げの場合、65%です。本来は84%のはずですが、色々と差し引かれてしまい、実際の増額効果は縮小します。1年ごとに換算した増額率も、本来は8.4%増のはずが、ほぼ6%台にとどまっています。それでも年金生活者にとっては、無視できない増加率でしょう。

一点、気を付けるべきはインフレによる副作用。ここではインフレによる名目額の嵩上げは考えていませんが、インフレに対し税率等の所得区分の調整が不十分だと、税率・保険料率がより高い所得区分に移ってしまい、税・社会保険負担がさらに高くなる可能性があります。あぁ面倒くさ。

どの繰り下げが一番お得か

さて、繰り下げに一定の手取り増効果があることは確認できましたが、ではどの繰り下げ年数が一番いいのか。

もちろん、年金以外の所得がなく、足元の貯金もカツカツという場合は、65歳受給一択です。逆に貯金が5億円を超えるという超富裕層なら、そもそも生活資金を年金には頼っていないので、こんなのどうでもいい話。

でも貯金1億円という富裕層で考えても、例えば100歳まで35年の余生を考えると、年間の貯金取り崩し可能額は平均285万円(運用益は考えない場合ですが)。となると、やはり年金をどう受け取るかは重要な問題になります。

正直に言ってしまえば「人それぞれ」なのですが、まぁ、ここは「頭の体操」ということで(この言い方も古いな…)、年金繰り下げの「内部収益率(IRR)」を計算してみます。

IRRというのは、プロジェクトの採算性の評価に使われる指標です。プロジェクトは、最初の数年間は建設のための投資支出が続き、キャッシュフローとしてはマイナスの期間が続きます。その後、プロジェクトが完成すると、事業収益によりキャッシュフローはプラスに転じます。

このような「最初はマイナス、その後はプラス」というキャッシュフローを一定の割引率で割り戻して、その合計(割引現在価値)がゼロになるような割引率をIRRと呼びます。

考え方としては、最初の投資資金を借り入れで賄うとして、その借入金利がIRRより低ければ事業は採算性がある、金利のほうが高ければ採算性がないのでやめた方がいい、という判断基準です。

単身無職世帯の場合、65歳受給開始で年金の年間手取り139万円弱。仮に1年繰り下げると、手取りは146万円強となります。65歳受給開始ケースとの差を純キャッシュフローとして表すと、1年目はマイナス139万円、2年目以降は手取り額の差である8万円弱のプラスが続くことになります。5年繰り下げだと、最初の5年間はマイナス139万円、その後はプラス45万円。10年繰り下げだと、最初の10年間がマイナス139万円、その後はプラス90万円となります。

これをグラフで示すと以下の通り。後半のプラス部分を割り引いていって、前半のマイナス部分と相殺してゼロになるような割引率を計算します。

繰り下げ年数が長くなれば、前半のマイナス期間が長くなる一方、後半のプラス額は大きくなる、しかし期間は短くなります。この結果、IRRがどうなるかは一概には言えないという点で、ちょっと面白いかと思ったわけです。

IRR計算結果

繰り下げ年数1~10年のそれぞれについて、IRRを計算してみました。ただ年金を受け取る最終年齢(つまり寿命)がいつかで、当然、計算結果は変わってくるので、これも80歳から100歳まで変えながら計算しました。結果は以下のグラフの通りです。

まず80歳の時点では、すべての繰り下げでIRRはマイナス、つまり繰り下げは「採算性」の観点からはすべきではない、という結果です。ま、プラス期間が短いですからね。

1年繰り下げで▲2.2%、2年繰り下げで▲1.9%、10年繰り下げだと▲11.6%という結果です。2年繰り下げのマイナスが小さいのは、繰り下げの手取り効果が1年だと5.5%、2年だと6.4%と少し高いためです(税率・社会保険料率の影響。最初のグラフ参照)。

IRRがマイナスの状況は82歳まで続き、83歳まで受給する場合、ようやく2~3年の繰り下げの効果がプラスになります(0.4%と0.3%。1年繰り下げの効果は、まだごく小さなマイナス)。

その後、全体にIRRは高まっていき、プラスになる繰り下げ年数ケースも増えていきますが、10年繰り下げがプラスになるのは90歳まで受け取った時点。まぁ、男性だとほぼ無理な年齢、女性でギリギリといったところでしょうか。

100歳まで受け取り期間を延ばしても、実は10年繰り下げのIRRが一番低い状況は変わりません。ベストは3年繰り下げの4.9%、10年繰り下げだと3.1%にとどまります。正直、これは私の想定とは違っていました。当初は受給期間が長くなれば、大幅繰り下げの効果が出てきて、IRRでもトップになるだろうと思っていたのですが、全く違いました。

念のために150歳まで伸ばしてみたのですが(誰がそこまで生きたいねん!)、やはりベストは3年繰り下げで6.0%、ワーストは10年繰り下げで5.0%となり、全体の差は縮まりますが、順位逆転には至りませんでした。

なぜ長期繰り下げの効果が低いのか

どうも不思議なのが、繰り下げ期間が長くなるほど効果が低いという点。確かに所得税などの税率区分が上がっていくので、より負担が高まるというのはあるでしょう。しかし試しに額面の受給額で計算しても、実は繰り下げ期間が長い方がIRRは低下します。

主犯として疑われるのが、繰り下げによる増額効果が「複利」でないこと。繰り下げ増額の計算は、「65歳受給額×(1+8.4%×年数)」という「単利」形式。でも利回り的に考えるなら、「65歳受給額×(1+8.4%)^年数」という「複利」であるべき。

例えば65歳受給額150万円の人が10年繰り下げた場合、単利だと276万円、でも複利だと336万円にもなります。IRR計算は複利の考え方なので、年金増額が単利計算だと、繰り下げの効果は期間が長いほど薄れることになります。

厚労省さん、繰り下げを推したいのであれば、増額方法は考え直した方がいいよ。

もう少し簡単な判断基準

と、このような試算をしてみましたが、これはあくまで思考実験的なもの。考え方としては、繰り下げ期間の資金を借り入れで賄った場合、それがペイするかどうか計算をしてみた、というようなものです。

しかし繰り下げできる資金的な余裕がある場合、これが判断基準になることはないでしょう。この場合は、単純に年々の貯金残高の推移を見たほうがいい。長生きリスクを考えると、65歳受給開始だったら破綻するが、10年繰り下げなら破綻しない、という可能性は十分にあります。

例えば10年繰り下げのケースで単純計算すると、最初の10年間の持ち出しは139万円×10年。受給開始後のプラスは90万円/年。単純に計算すれば、139×10÷90=15年で貯金残高は65歳受給ケースを上回ります。まぁ、受給開始が75歳なので、貯金残高の逆転は90歳時点ということですが、長生きリスクへの対処ということなら考慮に値すると思います。

5年繰り下げでも、この逆転は約15年後。つまり85歳で逆転します。まぁ、ありえない年齢ではないですね。当初の貯蓄額によっては、将来時点で貯蓄残高がマイナスになる事態を、繰り下げにより回避できるという可能性は出てきます。

まぁ、この辺りを考えるには、以前の老後2000万円問題の試算方法を使った方がいいでしょう。

ということで、「人生いろいろ」、個々人の資産状況、支出額、健康状態など、もろもろ考えて、最適な判断は変わってくるということですね。

補足:繰り上げ受給分を運用して増やせるか

既にかなり長い記事になっているので、繰り上げについては簡単に済ませます。

時々、繰り上げの減額率は年間4.2%なので、むしろ繰り上げ受給して自分で運用した方がいい、という意見も聞かれます。そこで繰り下げ時と同じように、繰り上げのIRRも計算してみました。

この場合の純キャッシュフローは、繰り下げ時と逆に、前半はプラス、後半にマイナスとなります。評価時点の年齢(つまり寿命ですね)を後ろにずらしていくと、繰り下げ時とは逆に、最初はプラスのIRRが徐々にマイナスになっていきます。

プラスのIRRは当然プラスの採算を意味します。マイナスのIRRは、その利回りで運用できれば、前半のプラス(早くもらい始めた年金)で、後半のマイナス(65歳受給開始と比べての年金減額分)をちょうど相殺できる、ということです。

計算すると、常に1年繰り上げが最も高く、5年繰り上げが最も低く出ます。例えば80歳時点で評価すると、1年繰り上げは1.9%とプラス、2年繰り上げは▲3.7%、5年繰り上げだと▲16.3%となります。83歳時点だと、ほぼ0%、その後はマイナスとなり、100歳時点で▲4.0%です。

つまり83歳時点(男性の60歳時平均余命)で考えると、繰り上げ受給開始分を運用しないでも、ほぼトントンということになります。厚労省的には不都合な真実か。もちろん、運用した場合は利回りが低く、損をするリスクは十分にあるわけですが。

しかし1年以上繰り上げる場合、83歳時点で▲5.1%(2年繰り上げ)~▲16.8%(5年繰り上げ)。つまりこれだけの運用利回りがないと、65歳受給開始より損するという結果です。ま、2年以上の繰り上げは避けたほうが無難ですね。

タイトルとURLをコピーしました