大昔、ノーベル賞経済学者のクズネッツが「世界には4種類の国がある。先進国と途上国、そしてアルゼンチンと日本である」といったのは有名ですが、そんな日本の高度成長も昔話。20年もしたら、日本はむしろアルゼンチンと同じ位置づけになってしまうのかもしれません。昔のアルゼンチンは、「母を訪ねて三千里」でイタリアから出稼ぎに行くぐらいの裕福な国だったんですからね。
日本に代わって高成長を続けたのは、アジアを中心とする一部の途上国、中でも中国でした。最近は中国経済悲観論も根強いですが、アジア新興国グループが急速に成長を遂げ、先進国を所得水準で追い上げてきているのは紛れもない事実。
この辺り、「収束仮説」というやつがあります。生産技術(=生産関数)が同じであれば、初期時点で所得水準が低いほど、その後の成長率は高く、最終的には同じ所得水準に追いつく(=収束する)という考え方です。
その一方で「中所得国の罠」という考えもあります。こちらは、経済成長の道のりは線型ではなく、技術革新等のブレークスルーがなければ、一定程度のところで伸びは止まってしまう、という考えです。
以前は前者の考え方に基づく「成長回帰 growth regression」といった実証分析も流行ったのですが、本当にすべての国が同じように豊かさを達成できるのか、むしろ幾つかの同類のグループにはなっても、グループ間の差異が残るのでは、という考え方による分析もあります。
今回は、この辺りを見ていければと思います。もちろん、学術的に厳密な議論をすることは意図していないので(私の実力を超えるので)、非常にラフな形で大きな構図を見てみよう、というレベルであることはご理解ください。
長期的な所得分配の動向
まずは直近のIMF世界経済見通し(WEO、2024年4月バージョン)の一人当たりGDPのデータを使って、1980年からの「ジニ係数」の推移をたどってみます。ジニ係数は、0~1の値をとって、数字が大きいほど不平等度が高いことを示します。こでは名目ドル建てと名目PPP(購買力平価)建ての2つのデータを使っておきます。
左側が人口ウェイトをかけずに国ベースで単純計算したジニ係数、右側が国×人口ベースでウェイト計算したジニ係数です。中国のように14億人の人口の国と、人口数十万人の例えば太平洋島嶼国を同じベースで考えて、世界の所得分配を見るのもおかしいので、人口ウェイトのほうが正しいと思いますが、念のために両方を作成しています。また影付き部分は、WEOの将来予測部分です。
人口ウェイトのジニ係数でより明確ですが、PPPベースの所得データ(赤線)では1980年以降、一貫してジニ係数は低下(世界の所得分配は平等化)しています。一方、ドルベースでは1990年代半ばまでは、むしろ所得分配は悪化していたのが、その後は改善傾向に向かっています。ただ、足元ではその改善傾向に足踏みが見られます。当初期間のドルベースとPPPベースの方向性の違いは、為替の影響などもあり、この時期、先進国のドル建ての所得が相対的に高まっていたということでしょう。
もちろん、これは国ベースの計算です。例えば中国人の所得が平均的に同じように上昇して先進国水準に追いついてくれば、世界の所得分配を改善させますが、14億人の中国国内で個々人ベースの所得分配が悪化していれば、また話は変わってきます。この辺り、ミラノヴィッチという人が丁寧に分析したものですが(いわゆる「象の鼻」現象)、その話は置いておきます。
中国とその他新興国とのインパクトの違い
途上国のキャッチアップによる国際的な所得分配の改善は、その大きな部分が中国の成長によるものです。その辺りを見てみようと、このような作業が正しいのか、若干自身はないのですが、少し作業をしてみます。
全く同じデータを使い、ただし中国を除いて、同じようにジニ係数の推移を計算してみます。またもうひとつの対比では、インドネシアやタイ、韓国、台湾、ブラジル云々といった中国以外の新興国(韓国、台湾だって、80年代は途上国の一部でしたからね)11ヵ国を除いたジニ係数を計算します。11ヵ国の人口を合計すると10.8億人となり、中国の14.1億人には及びませんが、まぁ、近くなります。人口ウェイトを掛けて計算するので、何とか人口を近づけようと、比較的人口が多くて、それなりに成長傾向が見られる国を選んだものです。
その結果が以下の図です。実線が全世界データ、破線が中国を除いたデータ、点線(破線より細かい線)が新興11ヵ国を除いたデータによる計算です。青と赤は先の図と同じ、名目ドルベースとPPPベースの違いです。
新興11ヵ国を除いたジニ係数は、ほぼ全世界データと同じような動きをたどっていますが、中国を除いた係数の場合、全体的に変化の動向はなだらかになります。つまり中国を除いた場合、世界の所得水準の変化は大きくなく、中国の動向が世界全体の所得分配動向を左右してきた、ということです。
ドルベースでは2010年頃まで、PPPベースでは2000年頃まで、中国を除いたジニ係数のほうが低くなっており、つまり中国という「巨大な貧困国」があったため、世界全体の格差はより大きかったということになります。
一方、その後は中国を含めた係数のほうが低く推移しており、中国の経済成長、キャッチアップにより、国際的な所得格差は顕著に縮小したということになります。やはり改革開放以降の中国の経済成長というのは、その他多くの途上国を合わせた変化とも比べ物にならないほど、世界経済の構図を大きく変えるインパクトの出来事だったと言えるでしょう。
もちろん、先に触れた通り、これは中国国内の所得格差は全く考慮していません。また対比に使った新興国でも、韓国や台湾のように完全に先進国水準にまで所得は伸びたが、人口は中国より圧倒的に少ない(5000万人と2000万人)という国もあるので、これらの国の成長が無視できるものだったということではありません。
まぁ、中国の公式統計をどこまで信じられるか、という点は残りますが、とはいえ、上記の展開を全く消し去るほどの偽装はできないでしょうね。
クラブ収束の推定
さて、このように中国をはじめ、多くの新興国が所得水準を改善させてきたとはいえ、まだ先進国との間に差があるのは事実です。名目ドルベースでいえば、2023年のアメリカの一人当たり所得は約80,000ドル、一方、韓国や台湾は約33,000ドル、中国は約12,500ドルとなっています。これまでの成長傾向が続けば(まぁ、この前提自体が問題でもあるですが)、将来どこかの時点で完全に追いつくことはできるのでしょうか。
最近知った手法にクラブ収束(club convergence)というものがあります。これは「すべての国が同じ所得水準に収斂していく」ことを前提とするのではなく、「いくつかの似通った所得水準のグループに分かれて収斂していく」ことを前提に、データのトレンドから、複数グループへの収斂の有無を分析するものです。これをやってみようと思います。
WEOの最新バージョンの所得データを用います。データは1980年からあるので(一部の国でデータ欠損もあるので約140ヵ国)、まずは2000年までの21年間のデータにより、これらの国がどのように分類されるか分析します(データ期間としては短いかもしれませんが)。次に2001年までの22年間のデータ、その次は2002年までと1年ずつ分析期間を伸ばしていき、この収束グループがどのように変わるかを見ていきます。また現在のWEOだと2029年までの予測もあるので、予測期間も含めた期間に伸ばしていき、果たしてIMFの予測期間で収束状況が変化するかも見てみます。
ジニ係数と同様、名目ドル建て、名目PPP建ての2つの単位での違いも見てみます。昨今の日本のように、為替レートが大幅安に振れることで、国際比較での地位が大きく変わるケースもあるので、この辺り比較・確認しておこうと思います。
名目PPP建て
まず名目PPP建て所得の結果は以下のようになります。グループが複数ある場合、所得水準が高いグループほど、小さいラベル番号を振っています。
2000年前半だと最大8つぐらいのクラブに分かれていますが、2010年代前半になると2~3のクラブに集約され、2018年以降は(IMFによる予測期間も含めて)ひとつのクラブに集約されます。こう見ると、現在のトレンドは将来的にすべての国が(各国の物価水準の差を調整した上で)同程度の所得水準に収斂していく、ということを示唆しているようです。 前半のバラバラな収束状況は、データ期間が短いため十分にトレンドがつかめず、ノイズが含まれている可能性は否定できません。それでも、ジニ係数が2010年代半ばにかけて急速に低下していった様子を最初にみましたが、それと整合的な結果と言えるかもしれません。
名目ドル建て
次に同じ作業を名目ドル建てのデータでやった結果です。こちらは少し様子が違って見えます。確かに当初のバラバラの状況から、2010年代半ばにかけて、一度、2~3グループに集約されていくのですが、その後、それ以上の収束は見られません。2016~17年頃は、逆に拡散する傾向が見られます。この頃はトランプ・ショック(大統領当選)、その後の予想外の米国株式の上昇等により、為替相場はドルが強含まった時期でもあります。この影響が出ているのかなと思います。
その後、足元の実績値の期間(2022年まで)では収束していきますが、それでも2グループに分かれた状況。また、その後のIMFの予測期間に入ると、むしろ3~4グループへとグループは分かれます。ただ足元の第2グループ(所得の低いグループ)の中から、高所得グループに入る国と低所得グループに入る国に分かれるというより、第1グループ(所得の高いグループ)の中から、勝ち組と負け組へ分化していくといったほうがよい感じです。
結局、日本はどのグループに属する?
この中で日本の立ち位置はというと、当然、上位グループにいると思いきや、残念ながら負け組のほうです。日本は2020年では第1グループですが、2021年には第2グループに移ります(図の中で2020年から21年にかけてグループを移っている線が見えますよね)。やはり、ほとんど成長していないのに加え、黒田バズーカ以降の円安傾向でドル建ての所得水準が低下していることが影響しているのでしょう。将来的には途上国と同じグループに入ってしまうわけです。
因みに中国は2023年時点で第3グループですが、2029年には第1グループ(最も所得水準の高いグループ)になります。とはいえ、2029年に所得水準が先進国レベルになる(日本が一人当たり所得でも抜かれる)ということではありません。その時点までのトレンドを考えると、将来的には高い所得に収斂していく第1グループになる傾向にある、というだけの意味です。
冒頭にも少し触れたように、多くの国で所得水準が一定程度(1万ドル程度とされることが多い)に達したところで、成長率は低下していくという「中所得国の罠」と呼ばれる現象が観察されており、実際、昨今の中国では成長率の鈍化傾向が明らかです。これまでのような高成長が続くのかどうかという点で、この前提は慎重に考えるべきでしょう。
ということで、冒頭に「世界には4種類の国がある。先進国と途上国、そして日本とアルゼンチンである」とのクズネッツの言葉に対し、将来、日本はアルゼンチンと同じ位置づけになってしまうのか、と書きましたが、う~ん、どうでしょうね。